2004年のメジャー・リーグの開幕戦は日本で行われた。ヤンキース対デビルレイズ戦であ
る。そのゲームの2戦目(4月2日)だったと思ったが、聖心幼稚園の父兄4名でビールとホッ ト・ドックを片手にテレビでのナイター観戦をしていた。私(ケアレ・スミス)は、兼ねてからあたた めていたプランをその3名に投げかけてみた。
「われわれは、最後の草野球世代だと思うのだが、(テレビを指さして)このユニフォームは着
てみたいと思わないか?」と語っている時にヤンキースの松井秀喜(背番号55)が東京ドーム のライトスタンドにホームランを打ち込んだ。ヤンキースが勝った。
その場で、M氏(のちのケーシー与那嶺)をチーム監督に指名し、私(のちのケアレ・スミス)
が最初のチームの代表者としてGM(ゼネラル・マネジャー)としての仕事を引き受けることとな った。
新発田市のバッティング・センターに貼ったチラシはほとんど効果はなかったが、幸いにし
て、この最初の母体となった聖心幼稚園の父兄と父兄OBのみで、草野球を行うのに最低限の 遂行人員である9名を集めることができ、そして各メンバーが知り合いを紹介するなどして人員 を拡張し、やがてそれは野球の試合がちゃんとできるまで拡張していった。現在は、聖心幼稚 園とは関係のない方々もチームのメンバーに名前を連ねているため、純粋に聖心幼稚園の父 兄(と父兄OB)のチームであるとはいえないが、チームの設立はこのような由緒をもって生ま れた。
同じように、どこかの幼稚園や小学校で、父兄が野球のチームを結成するなんてことがあっ
たら、少々距離はあっても、いつか対戦してみたい。
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