「皆川賢太郎のはなし」では、ワールドカップサッカーについてのコメントが昨日掲載されていました。
何かを成し遂げる事の前には頑張りが見えていたのでは駄目だと思う。
(中略)つまり現実が始まる時には努力も含めて頑張りと言うモノが芸術に変わっていくはずだと俺は思う。
ここ数日、私も美術や音楽について述べていた訳ですが、ズバリそれなのです。
見る側が「すばらしい」と感じるとしたら、滑り手が思い描くことが現実としてできた時=「芸術」と言い換えることができるからこそ、「すばらしい」という感想が生まれるのだと思う。
音楽であれば、
音を出す練習・・・、
音の強弱の練習・・・、
譜面どおりにリズムどおりに演奏する練習・・・、
それだけでは観衆に感動など生まれない。
演奏家の「魂で奏でるその想い」が、「表現」があるから、聞き手の「魂が振るえる(共鳴する)」のだと思うのです。
本日、東京都スキー連盟より、教育本部専門委員の委嘱状が届いておりました。
微力ながらもう1期、スキー界の発展のために、お手伝いさせていただきたいと思います。
このホームページもお役に立つことができれば・・・と、願っております。