ここだけの話 発展途上のスキーヤー

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(はじめに)
発想は自由であれ!
既成概念=こうやらなければ=誰が決めたの??
「愛と勇気」
2006.7.8 上歌の炭鉱の子(やまのこ) その2

月見町から新栄町(しんさかえまち)に移り住んだ。高台の麓だ。小学生は子ども会があり、高学年のお兄ちゃんたちが年下の面倒をよく見てくれた。夏は野球、冬はスキーの遊びが盛んだった。

小学2年生の時、スキーツアーが計画された、子どもたちだけで。
新栄町から山を登り切ると、赤平山のスキー場に出るとのこと。

長谷川さん、平田さんがリーダーだったと記憶している。雪が降ったら中止の約束だったが、2月の建国記念の日頃だったと思う、ピーカンの晴れだった。

ツアーが始まるとリーダーたちは私たちをしっかりとサポートしてくれた。所々に、赤いビニールの紐が木に括られていて、目印になっていた。きっと大人たちとリーダーが試走し、当日を迎えたのだろう。

途中、目の前を横切る「エゾリス」。私たちを先導している「うさぎの足跡」。夏は木が生い茂り、入ることのできない山なのだが、雪がそれを許してくれる。数回の休憩を繰り返してはいたが、しっかりと登りきり、赤平山のスキー場を眼下に望むことが出来た。その光景は今でも目に焼きついている。

そしてピステコースに出た。
数時間スキー場で滑り、帰りは来たコースを逆にたどった。

オフピステのコースなのだが、そこはいつもの慣れたシチュエーション。帰りは行きと違い、あっという間に家に着いたと記憶している。

その後は石炭産業の低迷期に入り、友達がだんだん引越しで少なくなっていった・・・。



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