高校卒業後の進路は東京だった。勤めながら大学の夜間部に通っていた。
同じ職場の先輩から、「新しくスキークラブを作り活動するので一緒にやらないかい?」というお誘いをいただいた。
1980年の夏のことだ。
右も左もわからない状況であった。内地のスキー場といえば「蔵王」、「苗場」は聞いたことがあった。
果たして、雪が降るのだろうか?そう思っていた。足前は2級。1級受検は続けていたが、そろそろ10年近くになっていた。
クラブの方に雪を見に連れて行ってもらおう、と思い、入会した。
こうして、『アスペンスキークラブ』に所属し、東京都スキー連盟にお世話になることになった。
そして冬を向かえ、後のミスタースキーナウ、当時デモを目指していた『小野塚喜保』氏と出会うのである。
今、振り返ると、この大きな流れは、前もって決まっていたかのように思えてくる。
東京都スキー連盟にお世話になって今年で27年。あと1期、2年頑張ります・・・。