今でこそ12月から3月まで毎月2回は訪れるスキー場であるが、初めて訪れたのは、1987年の指導員検定会だった。
当時の準指導員検定会は、この菅平と志賀高原サンバレースキー場の2会場で開催されていたが、私はサンバレー会場での受検であったことと、合格後の指導員研修会は専ら12月の車山高原スキー場で開催される会に参加していたので、指導員検定まで、菅平へは行ったことがなかった。
この年、アスペンスキークラブからの参加は私だけで、右も左もわからなかったので、検定会本部宿舎となっていた「ホテルやまびこ」にハガキで宿泊を申し込んだ。当日は東京から夜行バスを利用した。
ホテルの配慮で、東京都の受検者3名の相部屋であった。磯崎さん、畑中さん、と私。
初めての出会いであったのだが、数年後、なんと都連教育部の専門委員として3人が再会したのである。
不思議な出会いに、とても驚いた。
参加者名簿が残っていないので、お名前は失念しているが、私の次の番の方から、全種目が終わった後に「とても上手くて、プレッシャーになりました!」と褒められたことにも驚いた。帰京してからわかったのだが、長野県の代表選手のウエアを身につけられていた方であった。