20代前半にスキーに熱中し成果をあげることができたのは、スポーツホテル八紘閣の社長「小野塚喜明さん」との出会いが全てである。(現在は観光カリスマとも呼ばれており、グリーンツーリズムコーディネーターとして新潟県全体の活動にもご活躍されている。)
ご本人もデモンストレーター選考会に出場していた選手で、元ナショナルデモの「小野塚喜保さん」は弟さんである。
スキー技術の話は一切しない。しかし、取り組み方、考え方、着眼点、どれも大きな影響を受けた。「自分のスキー教程を作れ」という教えについては、私の教程は毎年改定され続け、今も取り組み続けているところである。
上越新幹線が開通してからは、新潟県で発売されていた回数券の束を、「使った分だけ精算してくれればいいよ」と預けてくださり、その束を握り締め、石打後楽園スキー場へ通っていた。
土曜日の昼過ぎに東京を出発し、15時過ぎには石打後楽園スキー場の山頂に立っていた。そして、延々と練習し、日曜日の午後も滑り、ナイターまで滑るようになっていた。月曜の朝、社長夫人の明子さんは朝食に「自家製魚沼産コシヒカリ100%のおにぎり」を用意してくださり、湯沢駅まで送ってもいただいた。何か、新潟の実家から東京へ通っている、そんな感覚にもなっていた。
スキーの道具はホテルに預かっていただいたので、スーツにコート、革靴のビジネスマンが雪国を往復していた。