東京で働くことになった。10年間かけて何かを感じようと思っていた。10年頑張って、その次の10年間の目標を決めようとも思っていた。
年金と保険の仕事に就いた。日比谷公園の前のビルや、環状8号線と井の頭通りの交差点近くであったり、三鷹の電信電話の会社ビルが勤務地であった。
国家プロジェクトの仕事もした。日本一大きな会議場に出入りしたり、年末には翌年の予算を決めるために朝まで働いたりした。スキーにも熱中したが、仕事も好きだった。
目標の10年目を向かえようとした頃、安定した高収入を捨てることにした。
お金を手に入れても、不正や保身に走る人達の姿を目の当たりにしていたこと、老人になったころには天下りのシステムも解体されるであろうこと、この道をさらに進んでいったときに周辺から受ける影響を自分の体には入れたくなかったこと、何にせよ、「不正は嫌いだ」。
どうも分岐点に差し掛かると、楽な方の道ではなく難しい方の道を選択してしまう。
組織から離れて個人として何ができるか、何かをして、そして老人になるころには肩書きなどを誇ることなく、明るく楽しく生きていたい・・・。
それにしても、当時一緒に仕事をしていた先輩方々が、テレビの中で頭を下げている姿を見るのはとても辛い。