1981年3月下旬、アスペンスキークラブのスキーツアーに会社の友人と2人で参加した。志賀高原のサンバレースキー場、そこで、第2回基礎スキー選手権大会に出場した「小野塚喜保さん」と出会うのである。
私は1級受検で鈴木幹夫先生から指導を受けていた。ちょうどリフト沿いの急斜面の入り口で初めて彼と合流した。そして鈴木先生が詳しく紹介してくださった。春の柔らかい雪、コブが大きく成長した急斜面、なのに、いとも簡単に小回りで降りて行く。
上から見ていて、友人と顔を見合わせ「すご〜〜〜い」。
そして思ったこと、
「同じ人間で手も足も2本づづあるのだから、同じようにやればできるはずだ。」
これが初めての出会いである。
その時の検定は不合格であった。
スキーのうまさとはスピードのコントロールにある。
そう思っていたから、「スピードのコントロール」=「ゆっくり滑る」=「ズレ幅の大きいターンで滑る」だと思っていた。
自分より経験の浅い先輩が合格していて、その滑りが上手に見えないのに・・・(先輩ごめんなさい、生意気でしたから)。
鈴木幹夫先生から、「乗って回る」、「滑走性が良いもので、ターン弧の描き方でスピードをコントロールする」ということを教えていただいた。
その次に「喜保さん」と会うのは、翌シーズンの1月の石打後楽園スキー場である。