講演会で山梨大学の中村和彦さんのお話を聞いての続きです。
こどもたちの運動能力の低下について、運動をしているこどもたちの中で二極化が見られること。
色々な運動を沢山行っているこどもと、単一スポーツしかしていないこどもに分類できてしまうこと。
原因の一つに、街角からこどもたちが消えていること、伝承的な遊びが姿を消したことが挙げられる。
毎日同じことだと飽きるから、創意工夫で作り出した遊びに没頭したり、お兄さんお姉さんの見本を見たり、真似したり。
何か世界遺産が壊されたようなことに匹敵すると思う。
今、こどもたちが見つけるべき36の動きが提唱されている。
(参考 NHK からだであそぼ http://www.nhk.or.jp/kids/program/karada.html )
2009年の4月から小学生の体育の授業内容が変わるそうだ。「小1、小2にはスポーツをさせない」という方針、「動きあそび」を行うそうだ。
放課後の街角を再現してもらいたいと思う。
ここで「スポーツ」という言葉の語源を考えることも必要である。(今月2回も同じことを聞きました。)「sport」は「s」と「port」に分けられ、「port=港=日常」、「sはdis=そうではない」というのが語源で、「日常から離れて楽しむ」ということになる。
諸外国では「身体を動かして楽しむ」「スポーツを楽しむ」=「楽しいから続ける」が成立しているのに、日本では「スポーツ=楽しい」になっているだろうか?
その「楽しい」の一つに、「できる喜び」というのがあると思う。「できる」ためには、自身の内面で「できない」と「できる」の差を感じることに尽きるという。約30年前に出会った「インナースキー」という本の内容と同じであった。
例えば、ボール投げの動作の習熟は4段階あるそうだ。
1)足は動かず、上体を投げる方向に向いたまま、腕だけでボールを放る。
2)足はまだ動かず、上体を捻ることができ、腕のスピードが上がり、少し遠くへ投げることができるようになる。
3)次に、投げる手と同じ側の足が前に出るようになる。
4)片足でのバランスがうまくとれるようになると、投げる手と反対側の足を前に出すことができ、全身の動作が協調して、ボールをさらに遠くへ投げることができるようになる。
特に3)の段階が重要だということ。これを経験できないと、4)の段階へすすめないのだ。
そこで、親や指導者は「動きを教えてしまう」。
動きを教えるのは日本だけとのこと。
「身体をひねろ、足を出せ」 → 「こどもに考えることをさせない」 ということになる。
「失敗する、工夫する、自分で決める」がなくなる。探究心がなくなるのだ。
そんな指導者や保護者であると、
「大人のスポーツ文化の即導入」
↓
「単一スポーツ種目のみの活動」
↓
勝利至上主義・精神主義
↓
長時間にわたる練習、試合数の増大
となってしまい、【日本のスポーツに子どもの姿が見えない】と言われ,、世界から笑われているのだ。
そこから、「楽しくない」 → 「いやな人に合いたくない」 という側面が生まれ、スポーツから離れてしまう道もできてしまう。
神経系が大人に近いくらいに発達する10歳までの時期に、あらゆる動作を経験させないと、その子の一生の健康まで影響が出てくることを大人は正しく認識しなければならない。
今まで知らないでいたことが恥ずかしい。
子どもたちは色々な運動をし、冬にはスキーもする。
スキーの指導者・コーチ(大人)は、単純に世界を目指す縦のラインを意識するだけでなく、学校の先生や地域のスポーツ指導員との横のつながりを図りながら、ドイツのクラブハウスの例のように、スキーをするであろうと思われる子どもたちにどんどん近づいていき、年中活動していかないと、スキーをする子どもがいなくなってしまう時代が、そこまで来ているように思う。