LEGACYと一緒 ここだけの話 【発展途上のスキーヤー】2006.10.17 日本海間瀬サーキット

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LEGACYと一緒


スバル車に乗り始めたのが1990年、レオーネツーリングワゴン トレンテシモ(SOHC 3AT)から。
93年にレガシィBF5(DOHC TURBO 4AT)、9年で20万キロを超え、23万キロを走行。
2002年より現在のレガシィBH5D(B−Sport SOHC 4AT)。こちらも10万キロは初回車検前に超え、月まで(36万キロ)走行してしまいました。次の目標は地球への帰還になります。(笑)
雪山へ、北の大地へ、私の活動を支えてくれている相棒をご紹介いたします。



2006.10.17 日本海間瀬サーキット

レガシィBPのD型がこの5月に発売され、7月中旬に新潟スバルさんによる試乗会が日本海間瀬サーキットで開催されました。それに応募した処、参加案内が送られてきて梅雨の開けきれない日曜日に行ってきました。

そこに、開発担当の方が来ていまして、2組目で待っている間に、色々説明してくれました。
「新潟と言えば雪道に強いということで・・・、北海道の冬の試験だけでは足りず、新潟近辺の、特に0度前後の雪道の走行試験を重ねています。仮ナンバーを付けて試験走行しています・・・」

おやおや?それって10年前に私が開発部長さん宛に書いた手紙の内容そのものではないですか!

当時BFのレガシィで自宅から17km程のスキー場に上がるだけでタイヤハウスの中が雪で詰まったり、大雪の関越道では関越トンネルから長岡まで、パーキングエリアの各駅停車でタイヤハウス内の雪を落とす作業が必要でした。
リアタイヤハウス
また、今でも新潟から長野県菅平高原まで十日町、津南経由の117号線の往復をしていますが、消雪パイプより水が出ている雪道を走る時がまた大変で、車体などに着いた水が凍ってしまいます。

(写真はBHリアタイヤハウス前方)

 

BGのレガシィが発売された頃、スバルの機関紙「カートピア」に当時の開発担当部長さんの記事が掲載されていました。この人なら聞いてくれるかもしれない、と思い手紙に書いた主旨は、

1)サイドスカートから伸びている構造体がタイヤハウスに出っ張りとなっている、そこに雪が溜まってしまい雪が落ちないため、タイヤハウスを一周するほど雪が溜まってしまうこと。
2)北海道の雪はマイナス5度以下で乾燥している雪であること、それは低温のテストであり、雪のテストにはなっていないこと。
3)雪の日の117号線がテストに最適であること、3度では雨、2度から雪になりマイナス10度位の範囲で様々な雪質を体験できること。
4)雪がスムースに落ちるにはタイヤハウス下部を樹脂カバーなどで覆い、抵抗を減らすこと。

BHでは少し改善されたようであるが、BPのA型が発売されるとタイヤハウスの出っ張りは完全に無くなっていた。
おみごとである。

それと、サーキットでの説明の件、10年後に同じ言葉を聴くことになるとは・・・。
この感激はだれにもわかってもらえないのだろうな・・・。

間瀬サーキット試乗会
間瀬サーキット試乗会 間瀬サーキット試乗会 間瀬サーキット試乗会

2台のレガシィで走行距離の合計が40万キロを超えてしまった。BHでは30万キロを超えてみたいと密かに思っている。
(2回目のタイミングベルト交換まであと2万キロ、きっと次の3月頃だろうな)
何か開発に携わった錯覚に陥った一日でした。

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Today's Odometer:172312km



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