父(70歳)は一刻でも気の優しい人ですが、母(74歳)は頑固で気が強く、人の言う事は絶対聞かず、自分の思い通りしないと気の済まない人です。
妻が発病してから、4年目に入ってくると、そろそろ母の愚痴が始まり、そのうち頻繁に「あの病気は治りはしない。段々悪くなる一方だ」また「とんだ嫁を貰ったもんだ。やっと楽が出来るかと思ったら、この歳になってから、嫁の2倍も3倍も働かされるとは、思いもよらなかった。こんな苦労をするとは思わなかった」などと、妻に聞こえるように愚痴を言い、妻を避けるようになりました。或る日曜日、この日は忙しく洗い物が山のように溜まり、妻が食器を洗っていると、母が「そんなに鈍くそやってたんでは、仕事にならねぇ!邪魔だから向こうへ行ってろ」と追いやりました。それからは何事においても、妻のやる事は気にいらず、母と妻との溝が段々と深まる一方で、妻の立場がなくなり、或る日、妻が一大発言をしました。
「おじいさん、おばあさん、もうこれ以上、私はお父さんに付いていけない。実家に帰して下さい。不治の病にかかり、なんの役にもたたない私など、もういないほうがいい。もっと体が丈夫で働き者の嫁さんを貰って下さい。」一瞬、家の中に暗い空気が流れました。私などは驚きの余り話す言葉を失ってしまいました。10秒から20秒ぐらいのほんの短い時間でしたが私にとっては凄く長い時間のように思えました。
その時、父が「敬子、何を馬鹿な事を言っているんだ。子供2人も恵まれ家族仲良く暮らしているのに、そんな病気ぐらいで、お前は神経質だから、もっとおおらかな気持ちで、あまりくよくよしない事だ。そのうち良い薬が出来、必ず治るから、以後そんな変な事を考えるんじゃあない」と、助け船を出してくれました。
妻がそんなに深刻に悩んでいるとは夢にも思わなかった。私の不徳となす所でした。もっと妻の気持ちを理解していれば、そこまで追いつめる事はなかったと、後悔しました。
私は体が非常に丈夫で、風邪もめったにひくようなこともなく、スポーツは万能で、当時は週に4回ほど青少年に柔道(4段)を指導していました。仕事、柔道、飲食組合その他もろもろで忙しい日々を送っていたため、妻が悩んでいる事に気が付かなかったのです。
|
|
|
|
|