ある日、久保さん(兄嫁の実家)の家へ出前を下げに行った時「てるをちゃん、お茶でも飲んで行かない」と誘われたので「そうね、たまにはお邪魔しようかね」と誘われるままにお茶をご馳走になりました。「てるをちゃんも大変ね。敬子さんは少しは良くなったの」「いや、このところ薬の副作用が出て来て、大分病気が進んでいるみたい」「てるをちゃん、今大変な思いをしていると思う。でもね、世の中はもっと苦労をしている人が大勢いると思うの。てるをちゃんだけでなく皆一生懸命頑張っていると思えば、幾らかでも気が休まるんじゃない。それとね、楽しい時は誰でも笑顔で鼻歌が出るけれど、苦しい時、悲しい時は、まず歌など歌わないでしょう。でも、てるをちゃんなら出来る。楽しい時、悲しい時、苦しい時、何時でも鼻歌を口ずさむような人になりなさい。それが出来れば、心がおおらかになり必ず幸せになれるから、そして敬子さんを大事にしてやりなさい」と言われましたが、その時は上の空で聞き流しておりましたので、暫く、その事は忘れていました。
父が亡くなり四十九日も終わり、気持ちも幾らか落ち着いた頃、ある夜、次男の政春が「お父さんちょっと話しがあるんだけど」と真剣な顔で話し掛けて来ました。「そろそろ相談があると思った。ところで大学の進学校は決まったのか」と尋ねたら、「お父さん、大学は行かない。家でお店手伝って良いかな」と言いました。この言葉には天地が引っくり返るほどびっくりしました。
この子は先生になる事が夢で、勉強はよくしたし、スポーツもやり、友達や後輩に勉強など教えて、誰からも親しまれていました。私はてっきり大学へ行くとばかり思っていましたので「またどうして、あれほど先生になりたいと言っていたのに」と聞くと「ねえ、お父さん、僕は先生に向いてないと思う。尊敬出来る先生もいないし、信頼出来る先生もいない。例え大学へ行って4年間頑張って先生になっても、今の先生達と同じ職場にはとてもいられない。大学へ行っても4年間が無駄になると思うよ」と言いました。「よし分かった。お前が手伝ってくれればお父さんも助かる。じゃやって見るか」という事で来春、卒業するのを待って、お店を手伝う事になりました。
後で分かった事ですが、本人は進路について大分悩み、私の兄貴の所へ相談に行って色々とアドバイスを受けていたようです。また「お母さんは病気が大分悪くなって来たから、もうお店には出られないと思う。今、おばあさんと叔母さんが手伝っているからいいけど、僕が大学へ行ったら家は大変だと思う。お父さんの苦労を見ていると、僕がお店を手伝うのが一番いいと思う」などと親を気遣っていたそうです。そこまで考えていたとは、全然気が付きませんでした。この子は心の優しい、人の気持ちを大事にし、面倒見の良い子なので随分悩んだ事と思います。一先ずは家業を手伝うという事で落ち着きました。
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