昭和55年7月7日、保健所で紹介された病院へ出向いて診察を受け、薬を頂いて来ました。その日から武蔵野病院の薬に変え、様子を見ましたら、あれほど震えていた手が、ピタリと止まりました。
それからの妻は物の怪が抜けたかのように、見違えるほど元気になり、仕事、家事に一生懸命働いておりました。正直な所、病気が全快したのではないかと思いました。たまたま近くの体育館で、初心者卓球教室が開催されましたので、妻の運動不足の解消にはこれが一番良いと思い、妻に「前の体育館で卓球教室があるから、体力付けるには最適だと思う。お前やって見る気はないか」と話しかけました。突然の事なので、暫く黙っていましたが「会社にいる頃少しやった事があるからやってみようかしら」「そうだ病気を治すためにも、体力を付けたり気分転換も必要だ」と早速入会し、1日2時間の練習が始まりました。
初日は「ああ疲れた」と言いながら、ゴロンと転がり暫く休んでいました。「どうだった。大分疲れたようだな。なんとか続きそうか」「疲れたけど、知っている人が大勢いたので楽しく練習出来た」と言い昼食の支度を始めました。次の練習日は、どんな態度をとるかと思っていたら「お父さん卓球に行ってくるね」と元気よく出かけたので安心しました。それからは毎週練習に行くのが楽しみになっていたようです。しかし、皆さんに付いて行けず、6ヶ月で辞めてしまいましたが、その間、非常に楽しく練習をしていたようです。
本人も体力に多少自信が付き、家事に従事し一生懸命頑張っていましたが、2年目ぐらいから坂を下るように体調に変化が起き、また震えが酷くなって来ました。先生に相談したところ「大分震えが出て来たね。そうね、震えが強い時は薬を余分に飲んでもいいですよ」と言って下さいました。その言葉が後に本人が大変苦しむ事になりました。その後は辛い時に1日3回飲む所を4回に増やして、震えを抑えて仕事に従事していました。
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