3_3.入退院の繰り返し
 9月27日、いよいよ退院する事になりました。「先生がお話があるそうです。ちょっと来て下さい」「ハイすぐ行きます」「先生どうもお世話になりました。大分良いようですね」「奥さんをお預かりしていろいろやって見たのですが、非常に難しかった。この病気は普通4、50代の人が多いのですが、奥さんの場合、若年発病者で、私の患者さんでは一番若い。それに脳がすっかり薬に慣れてしまったから、一種類変えるのに一週間も掛かったので、大分長く掛かりましたが、先ず大丈夫でしょう。次回の予約をして退院して下さい」「お世話になりました。どうも有り難うございました」。6ヶ月お世話になり無事退院しました。

 首の硬直は全くなくなり、足の硬直は昼間はなくなりましたが、朝は両足が棒のように固くなり足首・膝の関節が全く曲がらないので、揉みほぐしストレッチを施す日が、それから毎日続き現在でも続いております。

 半年ぐらいは非常に調子が良く、私に世話を焼かせるような事はなくなりましたが、段々と薬の効き目が悪くなり、よく転倒して、膝を痛めたり手にすり傷などを作りました。背中が少し丸くなって来ました。座椅子に座っても、食事の時も、背中が丸くなって行きますので、何とか背筋を伸ばさないといけないと思いました。私は背筋さえ正常で真っ直ぐならば、健康で病知らずだと信じているので、妻も姿勢が良ければ病気も良くなるのではないかと思い、背中を重点的にストレッチ体操を施すように心掛けました。

 ある日、庭で変な声がするので行って見ると、妻が倒れてウーウー言っていました。急いで抱き上げ家の中に連れて来ました。この頃から転倒した時、自力で立ち上がる力がなく、倒れた時は手を貸すようになりました。また、こんな事もありました。組合の用事で出かけた時(普段は3時間以上は外出しません)少し遅くなったので、急いで帰って来たら、変な体位で倒れていました。抱き上げ座椅子に座らせたところ右手が全く動かず、また握力が全くというほどありませんでした。倒れた時の状況を聞いてみたら「お父さんが出かけてすぐ気持ちが良くなったので、立ったらフラフラと倒れてしまった」とのこと。状況を判断して、長いこと変な形でいたので、肩の神経を圧迫したのだろうと思い、妻を寝かし、右手を30秒ぐらい軽く日に5、6回引っぱって様子を見る事にしました。一週間ぐらい、日に2、3回軽く引っぱっているうち段々と動くようになり、全治するのに3ヶ月もかかってしまいました。

 長男が大学を卒業して就職、次男が店を手伝っているので、普通の家庭では子育ても終わり、仕事も上手く行っていれば幸せ一杯。こんな幸せな事はないと思います。

 その年の秋頃から薬の効き目が非常に悪くなり、一日動けない日が多くなって来ました。少し様子を見ていましたが、例の如く周期的に悪くなり、平成4年2月中旬に、また入院しました。今度は7ヶ月入院しましたが、入退院の繰り返しで体力が落ち、全く自力では生活が出来なくなり、自己嫌悪に陥り、全く笑顔がなくなり、額にシワを寄せ、顔の表情が厳しくなり、口も開かなくなって来ました。何となく家の中が重苦しく、気持ちの晴れる日がない。こんな日々が続いたら妻よりも自分の方がダメになってしまう、何とかしなければと悩んだ末、一案が浮かびました。[気持ちをほぐし笑顔を取り戻すしかないと]。それからは妻に接する時は、頭に浮かんだ限り笑わせる事に専念しました。

 足や脇の下などをくすぐったり、鼻を摘まんだり、言葉の揚げ足とり・・・・・・何とか口を開かせるようにしました。例えば「今日は模様が悪いね」「今ごろ何を言っているのだ。このカーテンは3年も前からある。良い柄ではないか」「またそんな事を言う。お天気が悪いと言ってるの」また「お湯を少し頂戴」湯飲みにチョロチョロ「ハイ少しね」「薬を飲むのだから湯飲みに半分頂戴」また「お父さんトイレ」「トイレがどうしたんだ。トイレでも持って来るのか」「オシッコが漏れちゃう」「俺の知った事ではない。勝手に行ったら」「だって歩けないから頼んでいるのに」「別に頼まれてないよ。トイレに行きたいのなら、トイレに連れて行ってと、はっきり言えばいいじゃないか」涙を浮かべ少し怒ったような声で「トイレに連れて行って下さい」ちょっと可哀相になったので抱きかかえ連れて行ってやりました。

 今まではトイレ、お湯、足が痛いと、ただそれだけで手を貸してやりましたが、最近では、はっきり言って、こちらに伝わらないと、手を貸してやらない事にしています。本人には可哀相な気がしますが、自分が今、何をして貰いたいのか意思表示をはっきりさせ、大きな声で喋らす事にも心掛けました。