4_2.十二指腸の癌で手術
 検査の結果「桜木さん、私の誤診でした。申し訳ありません」と言われても、返す言葉がなかった。「これは非常に珍しいです。十二指腸に潰瘍が出来た場合は、癌という事は先ずない。潰瘍の後に癌が出来ていたのですね」「そうですか。ところでどんな状態ですか」「大分進んでいますね。癌が出来ているので食欲がないんですね。手術して胃から腸にパイプを通せば十二指腸を使わず直接腸に行くから食欲は出て来ますよ」と、先生は手術をすすめられました。

 兄貴が「先生の言う事は良く分かりますが、何しろ93ですからね。手術に耐えられるでしょうかね」と聞くと、「ええ大丈夫ですよ。簡単な手術です。30分ぐらいで、盲腸の手術と同じようなものです。心配はないですね」と言われた。私が「そんなに簡単に出来るのならお願いして、治ったら美味しい物を食べさせてやりたいね」と言うと兄貴が更に「手術して良くなったとして、どのくらい生きられますか」と聞きました。「そうね後6ヶ月ぐらいでしょうね」と、先生の一言は意外に短い余命の宣告でした。

 私は暫く考え、決断しました。「兄貴、家にいても何も食べないから、餓死をするのを待つより、ひと思いに手術して、例え一日でもいい、好きな寿司を食べてほしい」「てるをがそういう考えなら、お願いした方が良いではないか」「先生お任せ致しますので、よろしくお願いします」「はい分かりました。今日このまま入院して、明後日の午後3時に手術しましょう」と入院し、慌ただしく必要な物を買い揃えました。

 手術当日、兄弟皆集まり、おばーさんを励ましていましたが、余り大勢なので、他の患者さんに迷惑を掛けてはいけないと思い、男たちは控え室で待機する事にしました。今後の付き添いの日割りを相談している時「てるをさん。おばーさんがおむつを取り替えるだって。私ではだめだって」と義姉が私を呼びに来ました。病室に行き「おばーさん、わがまま言ってはだめだよ。女がこんなに大勢いるのだから、そばにいる人にやって貰わなければ」と言い、おむつを取り替えてやりました。四六時中一緒にいたので、私には羞恥心がなかったのでしょうね。

 いよいよ手術の時間が迫り、看護婦さんが「おばーちゃん、そろそろ行こうか。すぐ終わるからね」と手術室に入って行った。30分で終わると聞いていたのに、1時間たっても終わらず、どうしたのかと気をもんでいるうち、1時間30分してやっと出て来ました。「どうもお世話様でした」と母の元気な声が聞こえたので、無事に終わったのかと一安心しました。

 暫くして先生に呼ばれた。「手術は無事終わりました。思ったより転移していまして、パイプを少し長くして腸に繋げましたので、ちょっと時間が掛かりました。これで一先ず落ち着くでしょう」「そうですか。今後ともよろしくお願いします」と病室に戻ったら、母はスヤスヤ寝ていました。

 それからは点滴、点滴の日々が続き、これと言って変わりはなかった。一週間ぐらいして重湯が出て来たが、最初は一口、二口ぐらいでした。徐々に量が増え、3日目は七分がゆになりました。食事中、看護婦さんが来て「おばーちゃん良かったね。少しでも食べられるようになれば、すぐ元気になりますよ」と言ったら「こんな物を食っていたのでは元気の出しようがねえや。そこへ棺桶を用意しとけ」などと、何時ものような母の口調になって来たので、憎まれ口を言うようになれば回復が早かろうと安心しました。

 ところが、その後は食事を取らなくなり、胸が苦しい、胸が苦しいと訴え始め、口で息をするようになって来ました。おしめを取り替える時、傷口の痛みは何も言いませんが、ただ胸が苦しいと言うだけでした。

 付き添いは12時間交代でみていましたが、明日定休日だから私が今夜7時から24時間みるという事で、病院に泊まり込みました。その夜は12時頃まで起きていましたが、スヤスヤ良く寝ていましたので、母の寝顔を見ているうち、私も何時しかぐっすり寝てしまいました。

 4月27日の朝、朝食を持って来てくれましたが、食べたくないと言い、その日も何も食べず、「胸が苦しい、氷をくれ」と言うだけで、他には喋りませんでした。大分苦しそうなので先生に相談したら「今、気管支を広げる薬(点滴)を入れているから、そのうち少しは楽になるでしょう」と言われましたので、安心しました。夕方5時30分頃、突然妻が次男に連れられて見舞いに来ました。「おばーさん、具合はどうですか」「敬子か、良く来たな」と言って、妻の顔をじいーっと見ていました。妻は歩行困難のため、外出するなんて、ここ数年ありませんでした。後でふっと思ったのですが、きっとおじいさんが導いてくれたのでしょう。

 妻は30分ぐらいいましたが、「敬子、調子の良いうちに帰れや」と母は言い、早めに帰しました。その言葉が残念ながら最後の言葉になってしまいました。

 7時ちょっと前、私と交代のために二番目の兄貴が来たので、「今日は気管支を広げる薬を点滴したので、気持ちが良いらしく良く寝てた」「そう、それは良かった。今夜俺が泊まるから帰ってもいいよ」と言ってくれたが、何となく帰りたくない気持ちでした。暫くして、おばーさん、また明日の朝来るからねと言おうと思ったら、急に寝返りをし、瞬きもせず私の顔をじいーっと見ている。どのくらい時間がたったか分からないが、何時まで俺を見ているのだろうと不思議に思いました。その時、看護婦さんが来て「おばーさんの目が変。すぐ家族の人を呼んでください」と叫びました。

 すぐ妹に電話し兄弟皆に連絡を頼んだ。病室に帰ったら看護婦さんがいないので、心配しながらおばーさんを見ていたら、吐血が少しあったので、タオルで拭こうと思ったら、水道の蛇口を開いたように、とめどなく血が流れ出て来た。唖然としたがどうする事も出来なかった。看護婦さんが来て「ちょっと待ってて」と言い、吸引機を持って来て処置してくれたが、看護婦さんが驚くほど血がでました。一応正常になったかと思ったが、静かに息を引き取りました。急に涙が溢れ出てなかなか止まらなかった。看護婦さんが「少し汚してしまったので、着替えをしますので外に出て下さい」と追いやられました。30分ぐらいして「どうぞお入りください」と言われ、急いで病室に入り、おばーさんを見たら奇麗に化粧され、今にも起き出しそうに見えました。また涙が流れて止まりませんでした。

 その夜のうちに家に帰って来て、通夜・告別式と慌ただしく終りましたが、父の時と同じで、大勢のお悔やみを戴き、誠に有り難く思っております。