読み | はくさん |
所在地 | 新潟市中央区白山浦 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 駅近くには、市役所、大学病院、県立がんセンター、県立・私立高校があり、乗車人員は新潟市内の駅では新潟駅に次いで多い。新潟駅の高架工事に伴い、白山駅の輸送力を増強するため、ホームを含めた駅全体の改良工事が行われ、現在の駅舎はホーム下の地下に設けられたため、かって駅舎があった駅北側には、ロータリーの一番奥に地下へつながる入り口がある。南口は、やはり地下への入り口が一方通行の道路に面して設けられている。 |
隣接駅 | 上り側:関屋(1.5km) 下り側:新潟(2.6km) |
白山駅南口 |
白山公園:白山駅から徒歩で約20分
明治初期に日本で最初に開設された25箇所の都市公園のうちのひとつであり、
日本の都市公園100選にも選ばれている。東側は白山神社に面し、南側は空中庭園
を経由して信濃川やすらぎ堤へ行くこともできる。池、築山、花木を配した
オランダ風の回遊式庭園。昔から新潟市民の憩いの場となっている。
蛇足になるが、昭和40年代、この白山公園以外に、新潟市内には大きな公園は
わずかしかなかったため、新潟市の住民1人当たりの公園面積が、東京都の半分
という時代があった。今は、市内に多くの公園が整備されている。
白山神社:白山駅から徒歩で約20分
彌彦神社・新潟縣護國神社とともに、新潟県を代表する神社の一つである。正月
の初詣の折りや「白山まつり」開催時には大勢の人々でにぎわう。
信濃川やすらぎ堤:白山駅から徒歩で約10分
国が新潟市中心部を流れる信濃川の洪水対策と豊かな水辺環境の創出のため、
全国初の緩やかな堤防の上に、植栽や東屋・ベンチなどを設置し、河川と一体と
なった親水空間として、信濃川の右岸、左岸両方に整備された緑地で、芝生や樹木
の緑が一体となった豊かな水辺空間(白山公園から行けるのは左岸側)。萬代橋を
はじめとする重要文化財など、周辺の文化施設とも調和した景観となっている。
新潟まつりの最後を飾る大花火大会は、多くの人々が見物に訪れる。桜並木や
チューリップ、シダレヤナギなど、四季の移ろいを楽しめる。
読み | せきや |
所在地 | 新潟市中央区関屋大川前 |
開業年 | 1913年(大正2年) |
駅について | 古くからの住宅地の中の駅だが、近年マンション建設も盛んに行われている。2006年(平成18年)に、現在の橋上駅舎が完成し北口も設けられた。かつて駅の北側には新潟競馬場があった。信濃川の分水路として関屋分水路が開削されるにあたり、1964年に閉鎖。翌年、現在の新潟市北区に移転した。内野寄りにある最初の踏切に「競馬場踏切」の名称が残っている。 |
隣接駅 | 上り側:青山(1.5km) 下り側:白山(1.5km) |
関屋駅南口(橋上化前は南口のみ) | 関屋駅ホーム |
関屋分水
新潟市中心部を流れる信濃川の度重なる洪水から新潟市を守るために、河口から
約10kmに関屋地区に建設された全長約1.8kmの分水路で、1972年(昭和47年)に
開通・通水が開始された。建設地には住宅も多くあったため、近くにあった
新潟競馬場を現在新潟市北区へ移転させ、立ち退き住民の住居用地に当てる
こととした。
なお、分水路の完成により、関屋地区から新潟市の中心部である古町地区周辺に
いたる信濃川の左岸だった地域は、日本海、信濃川、関屋分水によって、周囲を
水に囲まれ、結果的に「島」の形態となったことから「新潟島(にいがたじま)」
呼ばれるようになった。
読み | あおやま |
所在地 | 新潟市西区浦山 |
開業年 | 1988年(昭和63年) |
駅について | 当地域の坂井輪地区は1960年代後半から急速に宅地造成が進み、人口が大幅に増加するとともに、大型ショッピングセンター(現在のイオン新潟青山ショッピングセンター)開店により、新駅の建設が国鉄時代から検討され、JR移行の翌年(1988年(昭和63年))、新潟支社管内では初めて新設された駅。 |
隣接駅 | 上り側:小針(1.4km) 下り側:関屋(1.5km) |
読み | こばり |
所在地 | 新潟市西区小針南台 |
開業年 | 1960年(昭和35年) |
駅について | 県と市の住宅政策により砂丘丘陵地帯を削り、道路の建設と戸建ての住宅団地の造成が行われた小針地区。1960年(昭和35年)に、寺尾 - 関屋間に新設開業した。砂丘地の南斜面に建設されたため、南口は駅舎と駅前広場との間に標高差があり、階段が設けられている。北口には、Suica用自動改札がある小さな駅舎が新設された。 |
隣接駅 | 上り側:寺尾(1.9km) 下り側:青山(1.4km) |
小針駅北口 |
読み | てらお |
所在地 | 新潟市西区寺尾上 |
開業年 | 1914年(大正3年) |
駅について | 駅近くにある寺尾神社が駅名の由来と思われる。周辺の人口増加に伴い、橋上駅化時に北口も新設された。 なお、南口、北口ともに、駅名表記がなかった。以前には南口にはあったようだが。 |
隣接駅 | 上り側:新潟大学前(2.1km) 下り側:小針(1.9km) |
寺尾駅北口 |
読み | にいがただいがくまえ |
所在地 | 新潟市西区坂井砂山 |
開業年 | 1984年(昭和59年) |
駅について | 新潟大学が1968年(昭和43年)から医学部・歯学部を除く全学部の五十嵐地区への移転を開始した後、1984年(昭和59年)に越後線の電化完成と共に開業した駅。 キャンパスの正門までは、徒歩で約15~20分かかる。工学部は隣の内野駅の方が近い。なお、新潟大学のことを新潟県内では「新大(しんだい)」(「しんだい」というと、東京では神奈川大学(神大)、隣の長野県では信州大学(信大))と言われているので、県外から入学した学生を含めて、地元では「新大前駅(しんだいまええき)」「新大前(しんだいまえ)」と言う。 |
隣接駅 | 上り側:内野(2.0km) 下り側:寺尾(2.1km) |
学生の通学用?自転車が並ぶ駅前 |
読み | うちの |
所在地 | 新潟市西区内野町 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 吉田~白山間開業の際に、穀倉地帯の中に開設された駅。かつては駅周辺には酒造会社が多くあった。駅北側にある内野小学校のグランドの桜並木は、この辺のお花見ポイント。2013年(平成25年)から行われた橋上化により、近代的な外観となった。2016年12月現在、南口駅前広場の拡張と内野小学校と結ぶ歩道橋など引き続き行われている(2016年度末完成予定) |
隣接駅 | 下り側:新潟大学前(2.0km) 上り側:内野西が丘(1.6km) |
内野駅北口(左側が内野小の桜並木) |
読み | うちのにしがおか |
所在地 | 新潟市西区内野崎山 |
開業年 | 2005年(平成17年) |
駅について | 住宅地「パレットタウン西新潟」の開発事業の一環として開設された平成生まれの駅。駅名は公募により決定。 |
隣接駅 | 上り側:越後赤塚(3.8km) 下り側:内野(1.6km) |
内野西が丘駅東口 | 内野西が丘駅構内 |
読み | えちごあかつか |
所在地 | 新潟市西区赤塚 |
開業年 | 1914年(大正3年) |
駅について | 昔から砂丘地帯として、スイカをはじめとする農産物が多く作られている。駅舎は1982年(昭和57年)に建てられたシンプルなものだが、最近では、大学や専門学校が進出するとともに、宅地かも進んでいる地帯。 |
隣接駅 | 下り側:内野西が丘(3.8km) 上り側:越後曽根(2.5km) |
越後赤塚駅構内 | 越後赤塚駅前の何かの?モニュメント |
佐潟:越後赤塚駅から車で約15分(ただし駅にタクシー待ちはなし)徒歩では
約45分
国内最大の「砂丘湖」で、砂丘と砂丘の間のくぼ地に水がたまって出来た潟湖で、
「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約(ラムサール条約)」
に登録されている。
読み | えちごそね |
所在地 | 新潟市西蒲区川崎 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 新潟市西蒲区西川地区の駅で、周辺には住宅も多いためか、日中のみだが駅員が常駐、みどりの窓口もあり、駅前にはタクシーも待機している。現在の駅舎は1967年(昭和42年)に建てられた。 |
隣接駅 | 上り側:巻(4.6km) 下り側:越後赤塚(2.5km) |
越後曽根駅構内 |
読み | まき |
所在地 | 新潟市西蒲区巻 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 新潟駅まで40分ということもあり、朝夕は通勤・通学客でにぎわう新潟市西蒲区の中心駅。 かつて東北電力がこの地区に原子力発電所建設を計画したが、全国初めての住民投票が実施され反対多数で計画は中止となった。その後の日本全国の反原発運動や住民運動に大きな影響を与えた。 |
隣接駅 | 上り側:岩室(4.0km) 下り側:越後曽根(4.6km) |
巻駅構内 |
角田山(かくだやま):巻駅よりバスで約20分、下車後、徒歩で約3分
旧巻町観光のシンボルである角田山は標高481.7m、子供から老人まで容易に
登れることから、周辺だけでなく県内一円から家族連れやグループがハイキング、
登山にと年間十八万人の登山者で賑わう。春は雪溶けと同時に雪割草やかたくり草
の花が一面に咲乱れ、山菜の宝庫となる。秋はきのこ狩り、落葉を踏みしめながら
すすきの揺れる山中の散策は日頃の疲れを愈してくれる。自然の野草植物に恵まれ
県内の山々に自生している草木の殆どが包含され生えていることから植物愛好者の
人気も一際高い。山頂までは七コースの登山道が整備されており、山小屋も山頂と
三望平の二ヶ所に設置されている。
角海浜(かくみはま)
1960年代半ばまでの鳴き砂が聞けたという。京都琴引浜に次いで格段に高温石英の
含まれる割合が高かった。また、数十年に一度起こり海に面した家並みを根こそぎ
奪っていくという『波欠け(マクリダシ)』により、集落の海岸線はかつてのそれ
より600mも後退してしまった。原発建設計画(中止)により離村も続き、現在は、
角海浜地区の多くが東北電力の所有地になっており、集落の面影は今はないが、
鳴き砂を復活させようという運動が起こっている。「越後の毒消し」発祥の地でも
ある。
読み | いわむろ |
所在地 | 新潟市西蒲区和納 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 開業時の駅名は当時の所在地の和納駅(わのうえき)。岩室温泉へのアクセス駅というこもあり、1965年(昭和40年)に、当時の村名の現在の駅名となった。 |
隣接駅 | 上り側:北吉田(2.1km) 下り側:巻(4.0km) |
岩室駅構内 |
岩室温泉:岩室駅からバス・タクシーで約10分
別名「霊雁の湯」とも呼ばれている。江戸中期の正徳三年(1713)、白髪の老翁が
庄屋高島庄左衛門の夢枕に立ち、そのお告げ通りにこの地を探すと、
一羽の傷ついた雁が泉流に浴して怪我を癒していたことから、源泉を発見したと
される不思議な言い伝えに由来している。旅館、ホテルは約10軒だが、新潟市
の奥座敷として利用されることもあり、新潟県の芸妓発祥の地として、
芸妓も多数?在籍する。
大根からし巻き
スポットではないが、岩室温泉では、昔から地元では知らない人がいない、
超個性的なおかず「からし巻き」を提供。「からし巻き」とは、からしを干した
大根で巻いて味つけし寝かせたもの。他にもシソやスルメを巻くなどの
バリエーションがあり、地元の食卓にはお馴染みの一品となっている。
読み | きたよしだ |
所在地 | 新潟県燕市吉田文京町 |
開業年 | 1984年(昭和59年) |
駅について | 旧吉田町の人口増加に伴い1984年(昭和59年)に新設された駅。地方都市で駅の新設はめずらしい。 |
隣接駅 | 上り側:吉田(1.9km) 下り側:岩室(2.1km) |
北吉田駅ホーム |
読み | 吉田 |
所在地 | 燕市吉田堤町 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 燕市吉田地区(旧吉田町)の中心駅で、越後線と弥彦線が接続する拠点駅でもある。越後線に弥彦線がクロスするような線路となっている。 |
隣接駅 | 越後線 弥彦線 上り側:矢作(2.9km) 下り側:西燕(3.1km) |
吉田駅構内 (左手に越後線北吉田方面、右手に弥彦線西燕方面) |
吉田駅構内 (右手に弥彦線矢作方面、左手に越後線南吉田方面) |
読み | みなみよしだ |
所在地 | 燕市吉田西太田 |
開業年 | 1965年(昭和40年) |
駅について | 住宅地の中にある小さな駅であるが、旧吉田町が燕市と合併後、駅から徒歩約15分に燕市役所、燕警察署などが建てられ燕市の行政機能の集積地となりつつある。 |
隣接駅 | 上り側:粟生津(2.0km) 下り側:吉田(2.0km) |
南吉田駅ホーム(粟生津方面) |
読み | あおうづ |
所在地 | 燕市下粟生津 |
開業年 | 1914年(大正3年) |
駅について | 駅周辺には住宅地となっているが、その周辺は田園地帯。以前はホーム両側に線路があったが、駅舎側の線路は撤去され、線路があった場所ある階段でホームに出る。 |
隣接駅 | 上り側:分水(4.3km) 下り側:南吉田(2.0km) |
かつて線路があった場所に階段がある |
読み | ぶんすい |
所在地 | 燕市分水桜町 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 開業当初は、現在燕市良寛史料館がある位置に仮駅とし地蔵堂駅(じぞうどうえき)という駅名だった。2年後に現在の位置に移転し、その後1983年(昭和58年)に分水駅となった。越後線のほぼ中間にある。2000年に改築された現駅舎は、大河津分水路のゲートをイメージしてデザインになっている。 |
隣接駅 | 上り側:寺泊(2.5km) 下り側:粟生津(4.3km) |
2番線への地下通路 | 駅前には観光案内図もある |
分水良寛史料館:分水駅より徒歩約5分
江戸時代の名僧で、自然を愛し、子供らを愛し、清水のように生きたと言われて
いる晩年この地で過ごしたと言われる『良寛』の史料館。
分水おいらん道中
分水路の堤防には染井吉野が約3,000本植樹され、現在では日本さくら名所100選
に選定され花見の名所として親しまれている。この大河津分水路の偉業を称え植樹
された桜があまりにも見事なため、訪れる観桜客のために大正時代に地元の有志が
はじめた仮装行列がはじまりといわれる「分水おいらん道中」。絢爛豪華な衣装に
身をつつんだ「おいらん役」が約70人もの付き人を従え、大河津分水桜並木/
地蔵堂本町通りを練り歩く。開催は4月中旬に1日のみなので、毎年の日程に
ついては、「分水おいらん道中」ホームページで確認。
大河津分水
信濃川はかつて度重なる水害によって越後平野に壊滅的な被害を与えてきた。この
被害をなくすために、増水した水が越後平野に入る前に一部を日本海へ流すために
作られたのが大河津分水。江戸時代後半から検討が進めれたが、信濃川下流の住民
などが水量が減るとして反対運動などもあり、1909年にようやく本格的な工事が
開始された。当時東洋一の大工事と言われ、最新掘削機を投入されるなど、工事に
携わった人はのべ1,000万人にも及び、1922年(大正11年)に完成し通水が開始され
た。完成後、分水より下流の越後平野では、それまで、胸まで浸かる湿田に
悩まされていたが、豊な穀倉地帯に変えることとなった。
なお、信濃川との分流点に設置されている大河津可動堰付近では、川幅が約720m
あるのに対し、分水路の河口付近では約180mとなっている。通常、川は河口へ
向かうほど幅が広くなるが大河津分水では逆となっている。これは、河口付近
2kmが山地となっているため掘削土砂量を減らすこと、及び川幅を狭め河床を
急勾配にする事によって流速を早め、洪水時により多くの水を流すように設計した
ためである。
読み | てらどまり |
所在地 | 長岡市寺泊竹森 |
開業年 | 1913年(大正2年) |
駅について | 寺泊駅として開業したが、2年後、越後交通長岡線が開業し、寺泊港へ近いそちらの終着駅へ駅名を譲って、大河津駅となった。1973年(昭和48年)に越後交通長岡線寺泊駅~大河津駅が廃止となってしばらく後、1986年(昭和61年)に再び寺泊駅へ改称した。 |
隣接駅 | 上り側:桐原(2.8km) 下り側:分水(2.5km) |
寺泊駅構内 | 駅前には観光案内図もある |
寺泊魚の市場通り:寺泊駅より車で約15分
通称「魚のアメ横」と呼ばれる海産物市場が軒を連ねている。地元寺泊港や
出雲崎港に揚がる新鮮な魚介類が安く?手に入り、遠く県外からも多くの人が
訪れ、買い物やランチ目当ての観光客で賑わう。無料駐車場1500台あり。
読み | きりはら |
所在地 | 長岡市寺泊五分一 |
開業年 | 1919年(大正8年) |
駅について | 駅の東側に広がる蒲原平野の穀倉地帯の輸送基地として賑わったが、今は朝夕の高校生の通学時間帯以外の日中は閑散としている。 |
隣接駅 | 上り側:小島谷(3.8km) 下り側:寺泊(2.8km) |
桐原駅ホーム(小島谷方面) 左側はかつてのホーム跡 |
読み | おじまや |
所在地 | 長岡市小島谷 |
開業年 | 1913年(大正2年) |
駅について | 漫画「夏子の酒」のモデルとなった蔵元が近くにあり(徒歩で約20分だが見学不可)、テレビドラマ化された際には、駅でもロケが行われた駅。駅前広場には越後線の前身である越後鉄道の創始者久須美秀三郎の胸像がある。 |
隣接駅 | 上り側:妙法寺(3.0km) 下り側:桐原(3.8km) |
小島谷駅ホーム | かつての米の積み込み専用線? |
読み | みょうほうじ |
所在地 | 長岡市村田 |
開業年 | 1913年(大正2年) |
駅について | 日蓮宗全57本山の一つで、700年の歴史がある 『日蓮宗本山村田妙法寺』への最寄り駅(妙法寺駅よりで徒歩10分) |
隣接駅 | 上り側:出雲崎(4.6km) 下り側:小島谷(3.0km) |
妙法寺ホーム(出雲崎方面) |
読み | いずもざき |
所在地 | 三島郡出雲崎町大字大門 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 江戸時代の名僧『良寛』の生誕の地。生家跡に建つ良寛堂をモチーフにした駅舎になっている。出雲崎は、江戸時代には幕府直轄の天領地となり、北前船の寄港地、佐渡島からの金銀荷揚げの地として栄えた。日本における「近代石油産業発祥の地」であり、紙風船の生産日本一(全国シェアの80%超)でもある。 |
隣接駅 | 上り側:小木ノ城(2.1km) 下り側:妙法寺(4.6km) |
出雲崎駅構内 |
良寛記念館:出雲崎駅から車で約5分、徒歩では約45分
良寛記念館は、良寛生誕200年を記念して昭和40年に完成した。。館内には良寛の
遺墨、遺品、文献等が数多く展示されている。ここから望む佐渡は、「新潟景勝
百選」の1位に選ばれた。向かいに佐渡、右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎
漁港、そして海岸線に続く妻入りの街並みを見ることができる。
読み | おぎのじょう |
所在地 | 三島郡出雲崎町大字小木 |
開業年 | 1958年(昭和33年) |
駅について | 地元住民の誘致運動の末、1958年(昭和33年)に開業 した駅。道路から小道を約40mほど入った所に、駅舎があり、車で走っていると見つけられない小さな駅舎。 |
隣接駅 | 上り側:石地(4.0km) 下り側:出雲崎(2.1km) |
小木ノ城駅ホーム |
読み | いしじ |
所在地 | 柏崎市西山町別山 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 石地-小木ノ城間が山間部を通り、越後線内では急勾配でることから、以前はこの駅で列車交換を行うために線路があった。1991年(平成3年)に交換設備が撤去され、翌年に現在の駅舎に改良された。 |
隣接駅 | 上り側:礼拝(3.7km) 下り側:小木ノ城(4.0km) |
石地駅ホーム(左側が列車交換用線路跡?) |
読み | らいはい |
所在地 | 柏崎市西山町礼拝 |
開業年 | 1913年(大正2年) |
駅について | 駅名の由来は、近くの二田物部神社礼拝所から取られた。1992年(平成4年)に現在の駅舎に改築された。 |
隣接駅 | 上り側:西山(2.2km) 下り側:石地(3.7km) |
礼拝駅ホーム(石地方面) |
二田物部神社(ふたもののべじんじゃ):礼拝駅から徒歩で約15分
大和朝廷より越後の国に、弥彦の神様(天香山命(あめのかぐやまのみこと))ととも
に遣わされた二田天物部命(ふたたのあめのもののべのみこと)を奉る古い神社。
越後二の宮(一の宮は弥彦神社)の称号を与えられるなど江戸時代には越後十八社の
一つに数えられ越後の人々の信仰を集めた。
道の駅・西山ふるさと公苑:礼拝駅から徒歩で約15分
田中角栄が学んだ小学校の跡地を利用し5万2千平方メートルを造成した施設。
日中国交回復の基礎を築いた証として中国風の建造物となっている。公苑の隣接に
は田中角栄記念館もある。
読み | にしやま |
所在地 | 柏崎市西山町和田 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 開業時、この地区の豪農であった近藤寿吉が自分の田畑を無料提供して建設された駅。西山油田の最盛期時代には、積み出し基地として栄え、1等待合室も設置されていた。なお、田中角栄の生誕の地である。 |
隣接駅 | 上り側:刈羽(2.9km) 下り側:礼拝(2.2km) |
西山駅構内(礼拝方面) | 駅前広場の近藤寿吉翁頌徳碑 |
読み | かりわ |
所在地 | 刈羽郡刈羽村大字刈羽 |
開業年 | 1912年(大正元年) |
駅について | 越後線開業時から、この周辺では石油が産出されたエネルギー産業の地。その影響なのか、1985年(昭和60年)に1号機が運転開始された柏崎刈羽原子力発電所までは直線で約1.5km。 |
隣接駅 | 上り側:荒浜(3.3km) 下り側:西山(2.9km) |
刈羽駅構内(左手の丘の先に柏崎刈羽原子力発電所) |
荒浜駅方面 |
柏崎刈羽原子力発電所:
東京電力の原子力発電所。発電所の所在地は柏崎市。1号機から7号機までの7基の
原子炉を有し、合計出力821万2千kWで、7号機の営業運転開始後は世界最大の
原子力発電所となった。2016年現在運転休止中。
読み | あらはま |
所在地 | 刈羽郡刈羽村大字正明寺 |
開業年 | 1915年(大正4年) |
駅について | 1915年(大正4年)6月15日に「新荒浜駅」として開業したが、隣の駅名(荒浜駅、現西中通駅)と紛らわしいことから、わずか半月後に当駅が「荒浜駅」となった。2007年の中越沖地震によりホーム・駅舎ともに陥没・沈下の被害を受けたため、約8か月に現在の駅舎が新築された。 |
隣接駅 | 上り側:西中通(1.6km) 下り側:刈羽(3.3km) |
荒浜駅ホーム(刈羽方面) |
かつての島式ホームの跡 |